Flavor of a lie

デジタル写真を見ているとなんだか「嘘をつかれている」気分になるときがある。
雑誌を視ていても同じ様な気分になるときがある。
雑誌の時のそれはトリミング、または掲載されない別カット等
ママ、理由が判る気がするが、デジタル写真のそれは一体何なんだろう?
絵画で言うとウソつきの描いたフォトリアリズム (SUPERREALISM?) の様だ。

気のせいではない気がする。

2 Comments

  1. hidechika 05/02/2010

    お久しぶりです。
    コメントありがとうございます。
    長文大歓迎です。

    おっしゃる通りです。
    特にデジタル写真についてでは、フィルムにあたるイメージセンサがベイヤー配列になっている(オイラも使ってるDP1含めシグマのカメラは違いますが)ものがほとんどなので、
    画像補完技術ってのが必要不可欠です。
    ですが、補完するってことはナイものを作ることには変わりないですから、”写真を撮る”というよりは”データを使ってコンピュータが描く”に近いわけです。

    これが最近のものは上がった能力を画像を”キレイ”にするために、実物以上にキレイに描くために使っているようです。
    これでは写真ではなく、コンピュータが描く絵です。

    変えるべきは入力の方法なのに….鮮度が悪いから本来不必要な調味料や調理方法でどうにか食わせる料理みたいです。

    で、なぜかシグマだけが世界で唯一フィルムの様な縦に光を感じる”Foveon”を使っています。
    その志、すばらしい!
    しかも画像が美しい!

    って最後自分のカメラ自慢になってしまいました。 ご容赦。

  2. kiba koichi 05/02/2010

    お久しぶりです。お元気ですか。

    上記、気のせいではないと思います。
    デジタルで描かれた絵や写真に関して、私も最初っからそう思っていました。今でもそれは変わらないです。
    メディアには「ものに刻み込む、ものの形を変形させることによって表現する」ものと、「ものに依存しなくても表現が可能な」ものの二つがあるんだろうと思います。モノが必要な表現と、モノが必要ない表現、ですね。絵画、彫刻、漫画はもちろん、写真、映画すらも、モノを変形させることによってしか表現できないメディアです。歌、音楽、ダンスなんかは、モノを変形させなくても表現できるメディアです。デジタルメディアは明らかに後者の仲間で、キャンバスや石や木や原稿用紙(笑)やフィルムといった、中間媒体がいりません。製造過程のどこにも、触れる形で「実在」してない。ホントは歌や音楽の仲間なのに、石や木や紙のフリをしている。触れないものなのに、触れるものの形をしている。そっくりな形に化けてるわけです。精密な人間の皮膚感覚が、そこんところにコスプレ感覚というか、「ウソくせー!」と思っちゃうんだと、個人的には感じています。

    こういうことを言う人が最近ほとんどいないので、嬉しくなって書いちゃいました。
    長文、何卒ご容赦を。

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