谷川俊太郎/朝のリレー

カムチャッカの若者が
キリンの夢を見てるとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら
寝返りをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝日にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴っている
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受け止めた証拠なのだ
「マツノキ」 まどみちお
マツノキが あって
かぜが さわさわ
ぼくの ポチが
きょう しんだのに
マツノキが あって
マツの たかみで
マツの かぜが
きょうも さわさわ
ポチの ぼくが
この みちを ゆけば
Buddha’s dream (ブッダの夢)
河合 それは特に現代人の大問題とちがいますか。身体性を失ってるわけでしょう。考えてみたら、車を運転しているでしょう。車の運転は、みな、自分が運転できていると思ってるけど、本当は車のこと、ほとんど知らないわけですよ。どうしてこうなるのか。なぜこれを押せばこうなるのか、ほとんど詳しいこと知らないでしょう。テレビでもそうでしょう。だからね、現代人というのは、まったく中身を知らないで表層だけいっぱい使って生きてるわけです。だから、身体というのは空になってしまうんです。生きているということが空虚になる。ふっと、ものすごく虚しいというか、存在感というのがなくなるわけでしょう。いま言われたように、身体が感じるというか、身体が動くというのは、いま、きわめて大事なことじゃないですかね。神話を読むというよりは、神話の中に自分の身体が入らないと。
中沢 そうですね。身体が入っていける神話だと、僕は恍惚としちゃうんです。
河合隼雄×中沢新一 『ブッダの夢』








